月: 2024年7月
第233回例会 オーストラリアにおけるカジュアルワーカーと正規労働者の連帯と労働運動
6/8開催 第233回例会のレジュメを掲載します。
※無断転載はしないでください。引用は法令に則って正しく行ってください
オーストラリアにおけるカジュアルワーカーと正規労働者の連帯と労働運動
—オーストラリア国立大学(ANU)教職員組合のストライキの事例から—
横田 伸子先生(関西学院大学 教員)
※無断転載はしないでください。引用は法令に則って正しく行ってください
第232回 エッセンシャルワーカー 熊沢先生のコメント
当日のコメントに加筆いただきました。動画をご覧になった方もぜひご一読ください。
報告集の動画はこちらからhttps://bit.ly/232houkoku
田中洋子先生のホームページ ⇒ エッセンシャルワーカー研究ネットワーク
研究会「職場の人権」2024年3月2日
エッセンシャルワーカー 社会に不可欠な仕事なのに、なぜ安く使われるのか
筑波大学人文社会系教授 田中洋子先生のご報告に対する熊沢誠先生のコメントです。
職場の人権 2024年3月2日 熊沢誠先生コメント
私はもう引退した研究者で、「職場の人権」にはいわば道楽で出ているようなわけで、今日も気軽に参加したいと思っておりました。田中さんのような世界的な評価も受けている第一線の研究者の仕事に十分なコメントをする用意はなかったのですが、いつの間にやらコメンテーターということにされてしまって、実は大変、困惑しております。以下は、だからまぁ雑駁な感想で、そういうものとして聞いていただきたいと思います
田中先生、遠くから本当にありがとうございました。この本は、今の日本の労働社会に送られるべき大変な労作だとまず思いました。
私が惹かれた第一の点は、エッセンシャルワーカーであるところの広範な非正規労働者のタイプ分けがされ、それらが現代日本の産業界にどのように配置されているかが最初に書かれておりますが、私はそういう出発点がとても好きです。労働者の仕事別・属性別の分布がきちんと描かれれば労働研究は着実な出発点に立っていると私は考えております。自分で言うのは僭越ですけれども、例えば私のわりと読まれた本では『格差社会ニッポンで働くということ』(岩波書店)がありますが、その中では就業構造基本調査に基づいて、所得階層別に、どういう職種の人が何人いるかという表を作っております。ですから、この本でも、労働社会の分業関係というか、労働者のタイプとそれぞれの比重に目配りがきいているというところがまずすぐれていると思ったのです。
それから次に、国際比較的な視野をもって、労働状況の分析を試みる。それぞれの産業・職種ごとにそれぞれ専門家を動員して編成する。その編集作業の努力が意義深いです。本当にご苦労様といいたいです。
ただ、老いの傲慢というか、私のようなすれっからしの労働研究の読み手としては、もちろん本全体に対してはいくつかの不満はあるんですが、これは後で申し上げるとして、
実は田中先生が今日、自分の執筆分に限ってということで報告されました限りでは、まったく異存ありません。今日のご報告そのものについて言えば、私の知りたいことはほとんど語られており、終始一貫、詳細な日独比較にもとづくすべての分析には深く共感することができました。最後の結論も、こういうふうにやっていけば、経済性を損なうことなくやっていけるのだという、そういう構図が示されることによって、改革案の説得性は十分だと思いました。私は総じて、Win-Winの思想というか、こういうふうに労働状況を改善すれば経済も経営もうまくいくんだというスタンスにはあまりなじまない、どちらかといえば否定的なんですけれど、今日の限りでは本当にそうだと、田中報告に説得されました。ここでは田中さんの労働研究の泰斗としての力量がいかんなく発揮されています。
けれども、本書全体は、率直に言って、今日の田中報告のような質の分析で埋められているわけではありません。それぞれの産業分野にそれぞれの専門家が動員され、多様なエッセンシャルワーカーの過酷な労働状況と改善方途が示されているわけなんですが、実は、田中先生が強調されました労働現場の実態のリアルは、それはたいていの寄稿論文の中ではあまり描かれていないと私は感ぜざるをえませんでした。例えば具体的な作業の凝視による労働そのものの実態とか、賃金形態をふくむ労働条件の詳細とか、その労働者がだいたいにおいてその仕事にやりがいや意義を強く感じているにもかかわらず、そういう労働意欲を削ぐような労務関係があるということの鬱屈とか、言い換えれば、労働そのものについてのエッセンシャルワーカーたちのわずかな歓びを相殺するしんどさや鬱屈みたいなものが、リアルに描かれている論考は少ないように思いました。編者の田中先生を前にして、まあ目の前じゃありませんけど、こう言うのは気が引けますが、たいていの各論は、私には大いに物足りなかった。だいたい枚数も少ないですよ。それはありますが、多様なエッセンシャルワーカーたちの苦境をもたらしている背景というものも、現場の労務管理を飛び越えて、主として90年代以降の法制・労働政策に集約されすぎているようにも感じます。もちろん各論は精粗さまざまですが、読んでいて、率直に申しまして、たいていの各論は申し訳ないんですけれどもあまり面白くない。欧米のすぐれた労働社会学の踏査研究や参与観察なんかはね、徹底的に日常の労働現場の事実、また事実を積み重ねて詳細を究め、どういう属性の人たちがどういうしんどさを抱えているかということが大変よくわかるので、面白い文献が多いんだけれども、そういう側面が稀薄だったと感じます。
労働実態の把握の背景分析が制度や法律の分析に偏しているという印象はその裏腹です。労務管理や人事考課や職場の人間関係などを飛び越えてはなりません。どの章が特にものたりないかということはあまり申し上げたくないので、ここだけの放言にしたいんですが例えば教員とか、相談員とか、ごみ収集員とか、トラック運転手とか。もっとも田中先生は、そういう分野の労働実態の研究はほとんどないと言われますけれども、そうでしょうか? 私見では、さまざまのエッセンシャルワークの現場の調査報告とか、新聞報道とか、企業外組合の交渉の記録とか、特定分野を調べた官庁統計とかがあるわけですが、それらはほとんど吸収されていない。例えば教員の具体的なしんどさについては、今ではもっと具体像を描くことができるはずです。
私にも著書がありますのでちょっと我田引水みたいですが、上に上げた分野には、例えば過労死・過労自殺の事例があるわけです。教員、看護師、相談員、トラック運転手などの過労死裁判の記録などにみる、労働者の日常的・具体的な体験などはもっと視野に入れてほしかったと思うのです。
もうひとつの本書に対する不満は、非正規のエッセンシャルワーカーたちの労働と職場の状況に対する、当の労働者たちの発言権、あるいは労働組合運動、あるいは市民と連携した社会的労働運動のこれまで、これからについての関心があまりに希薄であるということです。田中さんの今日の報告には共感するところばかりと、先ほど申しました。この研
究会の特質を考えられてのことかもしれませんが、ご報告では、そこがきわめてくわしく語られているからです。ドイツのマクドナルドとか飲食店とか、それからスーパーマーケットなんかでの望ましい労働状況に、明らかに労働者・労働組合の発言権が反映されていることがわかります。本書に戻れば、いろんな寄稿の中では、例えばドイツ人の寄稿がありますね。シュレーダー、インキネン、それから田中さんが書かれたところ。あそこでの叙述内容は、労働組合の存在を抜きにしては考えられないでしょう。でも、ああいう寄稿は、この本の中では例外的ですよ。どの分野についても、労働者の主体的な発言の役割はまず描かれていません。私がとくにそう思うのでしょうが、それが不満です。
先生もちょっとおっしゃいましたが、そのような労働者の主体的な運動は、非正規エッセンシャルワーカーの場合とくに乏しいです。徹底的に乏しい。でも、では、それらが乏しいのはなぜかということを、ひとえに政財界の政策の締めつけ以外にも視野を広げてもっと考えていかなきゃならないでしょう。
それに、日本ではそういう運動が乏しいけれど、皆無であるかというと、そうとも言えないんじゃないかという気もいたします。例えば、個々での対象のひとつであるファ-ストフ-ドの非正規の若者の組合づくりが芽生えておりますし、いくつかのコミュニティユニオンが集い広く非正規労働者の要求を団体交渉につなぐ「非正規春闘」も始まっています。あるいは最低賃金時給1500円を達成する地域労働運動もある。今の正式の企業別正社員組合の運動以外のところでは、とくに都会では大とても重な営みがある。そういう営みをもうちょっと取り上げていかないと、状況改善の提案が、ここでも制度と法律の改正に収斂してゆきます。
制度や法律の改革は、労働者の意識変革とか労働運動起こしとは違って、わりあいすぐに着手できると思われるようですね。制度や法律の改革は、エッセンシャルワーカーの労働条件の改善は経済・経営にとってもいいという説得的な論理をもってすれば、確かに十分に必要であり、可能でもあります。けれども、制度や法律の改革が、現場労働者の発言権が不在のまま進められるならば、労働現場の抑圧的で差別的な労務管理はあまり変わらないこともあり得ます。これはいかにも、産業民主義の信奉者の私が言いそうなことと思われるかもしれませんが、そこはこだわりたいところです。
私が待望するのは、ファ-ストフ-ドの若者の組合結成などの芽生えと、もうひとつ、公共部門の人的サービスに携わる専門職の非正規女性労働者の労働運動です。これこそはエッセンシャルワーク。その労働条件の劣悪さが公共サービスの質量を劣悪にしているとすれば、そこでの組合づくりや抗議行動は、市民の共感と支持を受けることができるはずです。ここにいわゆる社会運動的ユニオニズムの可能性が開かれましょう。例えば教育、保育、医療、介護、相談活動などの非正規専門職女性の要求、それとコミュニティ・ユニオンや地域ユニオンの試み、そして自治労など正規職員の既存組合のアジェンダ、それらがどういう関係を培うことができるかを、この画期的共同研究の書物はもう少し掬うべきだったという感じがいたしました。感想は以上でございます。
(第二コメント)
皆さんがドイツの現状に大変関心が深いのは、日本もやはりドイツのようにならなきゃいけないという思いがあるからでしょう。その背景は、ドイツは労働条件を改善しても経済的には十分やっていけるということですね。それでも当面、日本のエッセンシャルな非正規ワーカー、とくに女性労働者は、経済への影響はともあれ、すぐに救われなきゃいけないんです。そういう問題意識から言いますと、やはり田中先生がさっきおっしゃたように、労働者の心に内面化されている企業への忖度という思想の問題を直視しなければなりません。その思想の問題とは、結局、私が強調しております労働者の主体性いかんということに深く関係します。労働の状況とに影響する制度とか法律の役割というものを比較的軽視するというという欠点が私にはあるんだけど、それはしばらくさておけば、結局、思想の問題というのは、私の問題意識では、現代日本で非正規労働者の労働組合運動をどのようにつくってゆくかという課題に帰着するんですね。
本書で適切にタイプ分けされた非正規のエッセンシャルワーカーのそれぞれは、なにをもって働き続けることができるか、なにをもって企業に対峙できるかを探る。例えば公務の非正規専門職の場合でしたら、本当に良心的な仕事をしたいと思い、またそこにやりがいを感じている人も多いけれど、労働条件や職場の管理がそれを許さないという、いわば仕事の誇りと、その誇りゆえの不満が、労働運動に向かう契機になるだろうと思います。また、トラックドライバーでしたら、あまりにも社会的に不可欠なこの仕事での賃金や労働時間はあまりにひどいじゃないかという怒りがその契機です。もしアメリカやイギリスのように、ストライキできるような強力な企業横断の労働組合があれば状況は一変します。思えば宅配便がこんなに安くて早いのは、トラック労働者のすさまじい働きぶりのせいなんだ、そこに市民は気付いてほしい、そうした切実な訴えが、運動の初発の契機になるでしょう。ほかにもエッセンシャルワークのそれぞれは、それぞれ異なる抵抗の契機があると思うんですね。その契機を探ってゆく。例えばごみ収集員の仕事は、なにをもっとも辛いと考えているか、その辛い思いは、彼らの作業に感謝している市民に理解できるし、この仕事の状況改善は、市民のニーズとふれあうところがあるはずなのです。
非正規労働者の労働組合は、形成されても、たいていは企業外の個人加盟ユニオンで、さしあたり弱々しい存在です。ですから、国民生活に不可欠のサービスを受ける市民の支援が大事です。つまり、市民に支持された社会的労働運動が必要でもあり可能でもあります。2019年のアメリカの教員組合運動なんて、労働条件だけでなく教育の社会的意義をもつ要求も掲げて、保護者や子どもまで組合のピケに加わったものです。社会運動的ユニオニズムの波を起こす、エッセンシャルワーカーの思想的な契機、自分たちの要求の社会的な正当性、それをどのように見いだすか。それぞれのタイプについてすべて例示せよと言われれば私も戸惑いますが、それが私たちの課題だと考えます。
ちなみに、日経連が打ち出した雇用のポートフォリオは、諸悪の根源というよりは、それまで個別企業で進んでいた被差別待遇の非正規労働者の増加を財界本部が総括したものです。それを許してきたのはあえていえば企業別正社員組合だというように思います。飛躍するみたいですが、たとえば自民党があんなにめちゃくちゃなことができるのは、やっぱり無力な野党が怒ったってたいしたことにならないと思っているんだと思う。労使関係も同じです。ドイツの経営者はどこかで労働運動の反発が怖いと思っているところがある。日本の経営者は労働組合をもう怖いと思っていないんですよ。そこまでね、組合は馴致できていると読んでいる。だから、やはり思想ですよ。労働組合運動を再興する、社会的労働運動に展開させるといういう思想を、どのように見いだすかが枢要の課題です。
蛇足ですが、状況改善の方途を制度や法律にしぼりすぎますと、これは議会で決めることですから、そのためには選挙が大事、そのためには野党共闘・・・というように発想は流れて、皮肉に言えば、エッセンシャル非正規労働者の待状況遇のためには野党共闘をどうするかというところにいってしまうんですね。
普通の労働者のニーズとはそういうものではないだろう、現場の労働者が求めることを無視すればやってゆけない、経営者にそう思わせるのが労働運動です。そうした問題意識から、非正規労働者の労働運動、できれば社会的労働運動をどう開拓するかを、ドイツ、アメリカ、イギリスなどの実績に学んでゆきたいですね。この本は先駆的で、その貴重な第一歩になると私は考えます。